2020.11.9 江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」の上目黒村の項には「メキリ坂」という坂名がみえ,渋谷との堺にあり石臼の目を切る職人が住んでいたため目切坂となったと記されています。由来については諸説ありますが,1800年代前半には「めきり坂」と呼ばれていたようです。            目黒区教育委員会  平成十七年三月

2020.11.9 目黒区のHPには、『東横線代官山トンネルの真上にある交差点の一番せまい道を入ると、目切坂がある。この坂は、青葉台一丁目と上目黒一丁目の境を、高い塀と住宅に囲まれて、いくつかに折れ曲がり、西に下っている。坂の形は、今も昔もあまり変わりはないという。 この坂のある位置は、東横線中目黒駅のホームから代官山の方を見るとわかるように、ちょっとした山となっている。この山を丸旦山(まるたんやま)と呼び、急な傾斜になっている。そのためふもとから山頂までは、切り通しを設けねばならなかった。ところが、この坂は、斜めに切り通しをしたので、ちょうどひき臼の目切に似ていたという。 また、明治10年ごろまで、この坂上で伊藤與右ヱ門という者が、石臼の目を切る仕事をしていたということで、「目切坂」と呼ばれたそうだ。ほかにもいくつか説はあるが、はっきりしたことはわかっていない。 また、この坂は、昔、鎌倉街道の中途にある昼なお暗い林の中を通っていた。そんなことから別名を「くらやみ坂」または「しめ切坂」などとも呼ばれていた。』とある。

  目切坂リンク