2022.8.24 大坂(玉川通り)と 新道坂(駒沢通り)の間(あい) にある坂なので「あいの坂」とよばれるようになった。
昭和58年3月 目黒区教育委員会(旧標識)
坂の上の旧大山道(現、玉川通り)と、坂下の旧日向道(ひなたみち)の間の坂だからとする説や、人々が落ち合う坂(合の坂・逢の坂)だか
らという説がある。平成22年3月 目黒区教育委員会(新標識)
2020.12.6 坂下には、目黒区立菅刈小学校がある。江戸初期の「新編武蔵風土記稿」によると、現在の目黒区の西半分と世田谷区の東半分にかけての地域を「菅苅荘」「菅苅庄」と呼んだとある。今日、菅刈の名は目黒、世田谷両区の中で、この菅刈小学校と、菅刈住区の二つに見られるだけになった。
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