2020.11.9 別所坂(べっしょざか) この近くに 別所 という地名があったので,別所坂とよばれるようになったという。「別所」とはふつう 新しく開いた土地のことを意味するが,目黒では つきあたった所,行き止まりのことも「べっしょ」といっていたことが坂名になったともいう。 昭和五十八年三月 目黒区教育委員会
階段の途中に、目黒新富士の説明板が掲げられている。目黒区のHPに『坂上は富士のながめの良いところで、えぞ・千島の探検で知られた近藤重蔵が文政2年(1819年)、新富士・近藤富士などと呼ばれた築山を造り、目黒元富士とともに江戸名所のひとつとして、行楽客に親しまれていたと言われている。この築山は昭和34年まで、その形を残していたが取り崩され、今は、「文政二己卯年六月建之」の碑石が残されているのみである。』とある。
2020.5.26 目黒区HPの説明に、『別所坂は区の東北部の高台、淀橋台から目黒川の谷に面した急斜面を切り割った、いわゆる切り通しで、渋谷区境から中目黒一丁目、ニ丁目境を目黒川田楽橋に下る、折れ曲がった長い急坂である。』とある。
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