2020.8.19 「千代が崎 目黒1-1 この付近一帯を千代が崎といい、昔は東に品川の海を、西に富士山を眺める眺望のよいところであった。江戸時代には、島原の藩主松平侯の別邸があったところでもある。その庭園のあまりの見事さに、ここを絶景観と呼んだという。現在の都立教育研究所の敷地は、その庭園の一部で、そこには三田用水を利用した三段の滝や泉があり、また大きな池もあった。南北朝時代の武将新田義興が、多摩川の矢口の渡しで正平13年延文三年(1358)謀殺されたのを、その側室千代が悲しみ、この池に入水して死んだことから、千代が池と呼ぶようになったといい伝えられている。 昭和58年3月 東京都目黒区教育委員会」
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