2020.12.6 この坂から,「道玄物見の松」(土賊の道玄がその松に登って 往来の人を見下ろし,手下に命じて 衣服や携帯品を掠奪したために その名がついた) がよく見えたので,松見坂と呼ばれるようになったといわれる。 また,坂の途中に「松見地蔵」があったので 坂の名になったという説もある。 昔は,この坂の北西には,駒場野と呼ばれる 広大な原野があったが,今はその面影もない。
昭和五十八年三月 東京都
2023.3.12 松見坂は,淡島通りと山手通りの交差点から西に上る坂なのだが、平行する旧松見坂と言われる坂は、短いながら交差点から西に下っていて、一見矛盾してるようだが、旧松見坂下の写真にあるように、松見坂の下をくぐる道は、空川(目黒川の支流)の暗渠で、上を通る松見坂もここまではわずかに下っているようだ。つまり、松見坂地蔵尊の説明にあるように、空川にかかっていた遠江橋が谷底で、そこから東へ上るのが旧松見坂で、西へ上るのが松見坂ということになる。どちらも、目黒川の支流から東西の淀橋台へ上っているといえる。さらに、旧松見坂がもともとの松見坂で、山手通りを越えて富士見坂の坂上までが一続きの松見坂だったと考えることもできる。現在の松見坂は新道(淡島通り)を通したときに、新道坂や茶屋坂と同様に安易に名付けられたものかもしれない。というわけで、ここでは、松見坂を「目黒川から淀橋台へ」の分類とした次第である。
松見坂リンク