2022.9.25 坂名は,別所坂 と 目切坂 の間に新しく開かれたため,新道坂と呼ぶようになった。坂上の左右に見えるコンクリートのようへきは 三田用水のなごりである。三田用水は,寛文四年(1664年) 芝白金御殿の池水を引くために玉川上水の分水路としてつくられ,この尾根を通って三田・芝方面に流れていた。人々は農業・工業・雑用水として利用したが 昭和五十年にその流れを止め,約三百年にわたる歴史を閉じた。(坂の途中にある標識板より)
2020.11.9 新道坂には、異説がある。横関英一は、『続江戸の坂東京の坂』の「目黒の新道坂を正す」において、新道坂とは、駒沢通りの坂でなく、同じ坂上から分かれて東横線沿いに下る坂(以下の写真)のことである旨主張している。
こちらの坂は、グーグル地図によると西郷山通りとあり、この坂下から右折して目切坂下へ続いている日向道になる。直進すると中目黒駅の陸橋下で山手通りに出て、行き止まりになっている。駒沢通りとどちらが新道坂なのかは判断が難しい。気になるのは、標識の通り目切坂と別所坂の間に新たに開かれたのなら、新坂でよいはずなに「新道」坂となっていることだ。駒沢通りの方は世田谷道という旧道で、こちらの方が新しく作られたので新道なのかもしれないが、道の姿はこちらが古い道のようで、世田谷道は古くはこちらであったと考えられる。よって、駒沢通りにするため広い大きな新道を開いたとすれば、新道坂は、現駒沢通りの方で正しいのかもしれない。
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