2024.5.29 相生坂の名称は,古く江戸時代から呼ばれていた。その由来は,御殿山方面から宝塔寺(東五反田1丁目)前を通る道と,この坂のある中原街道が,雉子神社(東五反田1丁目)の手前で合流していたことにもとずくとされる。昔は急坂で険しいものであったが,だんだんと道路整備がされて現在のようになった。別名を 雉子の宮坂 とも言う。
               品川区教育委員会

2024.6.10 当時の中原街道は、江戸城虎之門と中原(現・平塚市中原)を結び、東海道の脇道として重要な役割を担っていました。品川付近での幅員は三間(5.4m)で、高輪台から雉子神社付近までは道の両側に町屋が並び、寶塔寺の前は門前町屋になっていました。

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